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『モンゴル見聞録』(ある短期派遣教師の手記)①

『モンゴル見聞録』 田中伸幸先生の手記
( 2014.2.6~2014.2.27 派遣 新ひだか町職員、苫小牧高専OB)

モンゴルは突然やってきた

 2013年12月21日、毎年恒例の苫小牧高専剣道部OB会が、札幌の某所で開催された。懐かしい先輩や後輩、 初めてお会いする先輩方と楽しいひと時を過ごしていた時に、栗山先生が(私が入学したころは、苫小牧市役所に勤務され、休日や時間外にコーチとして稽古に来ていただいていた。)突然、「誰かモンゴルへ行くやついないか?モンゴルに高専が出来てその講師を募集している。3週間の短期派遣で日当ももらえる。 山本はどうだ?於本はどうだ?と言いながら、田中はどうだ?」と私にも声がかかった。私は、「学生時代は成績が悪かったので、行っても使い物にならないからだめです。」と一度は断ったが、「土木材料を教えるだけなので、成績は関係ない。土木材料くらい教えることが出来るだろう。」「職場に聞いてみないと・・・2月なら良いかも・・・」とあいまいな返事をしていると、栗山先生が「本当だな?2月だな?大丈夫だな?」と強引にその場では決まってしまった。
 休日明けに直属の上司に「3週間の有休をいただきモンゴルに行って、高専の講師をやってきたい」と相談したところ、快くOKが出され、人事担当の総務企画部長にも相談に行くと「そんなもの有休はだめだ。義務免で行って来い!」と力強いお言葉をいただき、12月27日には、正式に派遣の決定が出され、職務専念義務免除申請を提出し、ほとんど公務として派遣されることとなった。

 

苦労したテキスト

 12月24日~27日の4日間は、栗山先生、「モンゴルに高専をつくる支援の会」の内川さん、「笹川平和財団」の小柳さんと私との間で、目まぐるしい勢いで情報交換が なされ、様々な資料が送られてきて、一気に気分はモンゴルムードとなった。
  その資料の中に土木材料のテキストがあり、この要点をパワーポイントに 落とす作業や、現場写真の収集、文献の収集などの作業を始めた。これからが大変。家に帰って酒も飲まずに深夜1時すぎまで作業をし、翌朝4時には起きて勉強をした。
 12月31日の大晦日は、数年に一回実施している正月温泉旅行。家族3人+母+姉夫婦と合計6名 (娘はロシア留学のため不参加) で登別温泉。ここにもパソコンを持ち込み、息子達がやっている花札を横目に見ながらお勉強。登別温泉で!
 1月10日には千歳空港においてNISVAから派遣されている元東京都立高専の中西先生とお会いすることが出来た。途中経過ではあったが、それまでに作成した講義用のパワーポイントを見ていただき、翻訳の都合もあるので、早めに完成させるよう言われ、1週間の時間をいただいた。その後の1週間はまた朝早くから夜遅くまで、資料作成に追われ、何とか1月17日には中西先生、栗山先生に送付することが出来た。
 1月21日に、モンゴル高専の通訳であるオトゴンさんとオナンさんが、急に来道されることとなったと、栗山先生から連絡をいただき苫小牧に出向くこととなった。場所は昔なつかしい“グランド居酒屋富士”で、オトゴンさん、オラナさんを囲み、樽前会吉田会長、土木同窓会前川会長、秋山校長、澤田先生、栗山先生、10月にモンゴルへ行かれた高田さんとで楽しい食事をいただいた。また、完成したパワーポイントのCDを手渡し、翻訳箇所をお願いすることが出来た。

 

その後の準備

 その後、完成したパワーポイントの補足説明や誤字脱字の点検作業を毎日行い、持って行く荷物をまとめたり出したり、お土産を買ってきたり追加したりを繰り返し、2月2日には、荷物も勉強もまとめることが出来た。
 3日にはロシア留学から帰国する長女のアパートの確認、ライフラインの復旧等を行うために上京し、5日には、ロシア留学から帰国した長女のご苦労さん会と、私の壮行会を兼ねて家族全員で久しぶりに食卓を囲んだ。  あわただしい 1 ケ月間だった。