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『モンゴル見聞録』(ある短期派遣教師の手記)⑪

『モンゴル見聞録』 田中伸幸先生の手記
( 2014.2.6~2014.2.27 派遣 新ひだか町職員、苫小牧高専OB)

2月23日(日)

 朝、5:00起床。最後の資料作成。何とかまとまった。10:00にセルゲレンさんが日本人墓地に連れて行ってくれた。このような方たちがおられたので、今の自分が存在すると思ったら、涙がとまらなくなった。ハンカチで涙を拭いても拭いてもあふれてきた。桜を植える計画があるらしいが、新ひだか町から苗を持って行き植えてみたいと思った。この寒さに耐えるには北海道の桜が必要だ。しかし空気が悪い。ウランバートル市内よりもゲルの広がる郊外の方が空気が悪い。原因は石炭ストーブだそうだ。
 その後、市場に行ってお土産を買いに連れて行ってもらった。モンゴルチーズ、モンゴル岩塩、モンゴル干し肉、ロシアンお菓子。セルゲレンさんは明日から日本に出張で忙しいにも関わらず案内していただいた。
 夜はアイザワの今さんと食事に行った。ウルジーさんが寮まで迎えに来てくれて、タクシーでレストランまで送ってくれたので、大変助かった。
今さんは昨日から徹夜で仕事をしており、工場に泊まったらしい。明日は軍隊が来てテロから守られながらの仕事だそうだ。大変な仕事を日本人一人でよくやっている。素晴らしい人だ。帰りはタクシーで寮まで送っていただいた。そんなにモンゴルは危ないのかな?
 

2月24日(月)
 

 高専クラスに配合計算の講義の中で配合計算に必要な簡単な連立方程式を解かせてみた。ほとんどが出来ない。専門教科と平行して基礎学力の向上が必要だと感じた。教科書がないため、どうも自分たちで問題を解く習慣がないのかもしれない。今後、ますます難しい計算が出てくるはずなので数学と物理の勉強をしっかりやるように言ったが、どう 感じてくれたか。
 その後、大学道路科3年生に講義。橋梁の架設方法、日本の橋梁の紹介、明石大橋の施工法等の授業を行った。大学生になるとバンバン質問が来るし、冗談をいうと笑ってくれるし、応力的な話をしても理解してくれる。非常に楽しく授業が出来、最後に拍手をいただいた。
 授業が終わった後一人の女子学生に呼び止められ「先生、日本には土質試験室があるのか?」と聞かれ、「大学、高専、研究機関、建設会社にもありますよ。」と答えたところ、「私はモンゴルの道路会社に働いており、そこに日本人が一人いて日本には土質試験室があると言われたものだから」と言っていた。話はこれで終わってしまったが、何を 聞きたかったのか?モンゴルの道路会社には試験室がないのであろう。もう少し詳しく話を聞いてやれなかったのが残念だ。
 

2月25日(火)

 今日は授業がなかったが、水曜日の実験準備や先生方への講義についての資料作成でもう少しがんばらなければならなかった。
 昼食は始めての外食。近所の韓国料理屋でビビンバをいただいた。久しぶりの味が美味しくて普段は食べきれない量を完食した。それぞれ色々なものを注文して6人で3,700円くらい。安い。
 午後からは、オトゴンさんがノミンデパートに買い物に連れて行ってくれた。お土産は十分に買ったつもりであったが、またたくさん買ってしまった。総額300,000T!
 でも18,000円くらい。大金持ちになった気分。日本に帰ったら気をつけなければ。
 

2月26日(水)

 先生への講義資料が気になり4:00起床。最後のがんばり。
 午前中、高専クラス最後の授業。ふるいわけ試験。GOSTの大きなふるいわけ試験機を人力で振るわせた。目的を持たない粒度試験ではあるが、百分率の計算をさせ、粒度曲線を全員に描かせた。実験器具がそろっていないのに、何か実験をやってほしいとの要望があったため、戸棚の裏に隠れていた新品のふるいわけ試験機を見つけ、ふるい目がJISとは異なるが、実験の体験のようなものは十分出来たと思う。配管科2年生、道路科2
年生にももちろんやらせたが、百分率の計算が良く分かっていない学生もいた。
 

ふるい分け中 計算中

 

 16:00からの先生方への講義は突然中止となった。かなりのエネルギーを使って資料作りを行ったが無駄になってしまった。しかし、中止となった連絡もなければ、中止となった理由の説明もない。学生の休講とは違うので非常に失礼な対応であった。
 寮に戻って夕食を食べていると突然の悪寒。寒くて寒くて震えが止まらない。 間違いなく発熱だ。震えが止まるのをまって座薬をいれ、途中何度か汗をかいたので着替えながら発熱と戦ったが、通常の発熱ではこれで完治するのだが、少しいつもの発熱とは違った。